手の指を伸ばす筋肉は数々ありますが、親指に関しては、
数本の腱が働くことで色々な方向へ動かすことができるようになっています。
そのうちの一つに、このページで見ていただく「長母指伸筋腱」があります。
腱の断裂と聞くと、刃物で切ったとか、外傷によって切れてしまうイメージがあるかもしれませんが、
「皮下断裂」といって、皮膚には傷が何も生じず、腱だけが切れてしまう場合があります。
上の写真は長母指伸筋腱皮下断裂の患者さんの手です。
親指の先の関節だけが伸びなくなっています。
このような特徴的な症状がどのようにして出るのでしょうか?
このページでは、このような症状をもつ「長母指伸筋腱皮下断裂」についてご覧いただきたいと思います。
長母指伸筋腱とは?
手関節から先にかけての構造は、下の図のようになっています。
その中に、長母指伸筋腱があります。
上の図で示したように、指を伸ばす腱は手首のところで束ねられているのですが、
それぞれが腱鞘というトンネルを通っています。
さらに、それぞれは、その働きごとに6つのトンネル(区画)を通る構造になっています。
長母指伸筋腱は第3区画を通って、その働きは親指の先の関節(IP関節)を伸ばすことです。
右の図は6つの区画を輪切りにしたものです。
総ての区画は、骨のすぐそばにあります。
長母指伸筋腱は橈骨上に位置しています。
長母指伸筋腱皮下断裂の発生要因
長母指伸筋腱皮下断裂が発症した時の様子を患者さんに伺うと、
ライターの火をつけたときに気が付いたら指が伸びないとか、
お箸を使っていて、お箸が持てないことに気がついたなど、
明らかに外的要因で指が動かなくなったという原因が思い当たらない場合がよくあります。
では、どうして、長母指伸筋腱皮下断裂は起こるのでしょうか?
それには下の3つの要因があると言われています。
1、解剖学的要因
上の図は、手を上から見たものです。
青色のラインで示したものが長母指伸筋腱の走行です。
特徴的なのは、橈骨にあるリスター結節と呼ばれる隆起部分を支点に、長母指伸筋腱は左へ約45度くらい走行を変えています。
このように、長母指伸筋腱にはリスター結節周辺で摩擦力が生じたり、
腱自体に何らかのストレスが生じるような構造になっています。
上の図は、腱鞘が収まっている6つの区画を輪切りにして見た図です。
長母指伸筋腱の通る第3区画は他の区画よりも狭い空間に収められています。
ですので、スペースにゆとりがなく、外からの圧迫に対して腱が逃げる余裕がありません。
以上に示した2つの大きな要因が長母指伸筋腱皮下断裂が生じる解剖学的な要因として考えられています。
2、機械的圧迫による要因
上の図は、手関節をついた状態で背屈強制された時の状態を示しています。
このとき、長母指伸筋腱はリスター結節部近くで圧挫されると言われています。
また、上記のような肢位で生じる橈骨遠位端骨折と同時に、あるいはその後に、
長母指伸筋腱の走行がわずかに変化することで、腱自体が血流の障害を生じ、
腱の脆弱化によって、機械的摩耗を受けて腱が断裂するとも言われています。
3、橈骨遠位端骨折に起因する場合
下の図は、橈骨遠位端骨折が生じたときのモデル図です。
青矢印で示した部分は、ちょうどリスター結節のあたりを示しています。
そのすぐ近くを長母指伸筋腱が走行しています。
橈骨遠位端骨折が起因して、長母指伸筋腱皮下断裂が、以下の図のような道のりを経て発生すると考えられています。
以上のように、長母指伸筋腱皮下断裂が生じるには、色々な要因があると考えられています。
では、以下で実際の患者さんの症例についてご覧いただきたいと思います。
32歳の男性です。
左母指IP関節が伸びないという事で来院されました。
2週間前に、作業中左手関節に音がして、
左母指の伸展ができなくなったそうです。
左の写真は初診時の外観写真です。
赤矢印で示す部分に、本来あるべき長母指伸筋腱のレリーフ (青色矢印)が見られません。
また、左母指のIP関節が伸ばせないことがわかります。
左の写真は、手を側面から見た外観写真です。
母指を精いっぱい伸ばしていただくように指示したところ、
赤色矢印で示すように、伸ばすことができないことが確認できました。
左が、初診時のレントゲン写真です。
お話を伺っていくと、2ヵ月前に左橈骨遠位端骨折をされており、手術でプレートによる固定をされているという事でした。
以上のことから、長母指伸筋腱の皮下断裂と診断し、
手術を行いました。
手術では、長母指伸筋腱は伸筋支帯で断裂しており、
第3コンパートメント内には腱がありませんでした。
末梢断端は伸筋支帯より2cm末梢にあったため、
端端縫合は困難と考え、固有示指の伸筋腱の移行術を行いました。
左の写真は初診時のもので、右の写真は手術後2ヵ月のものです。
左母指IP関節の伸展が可能になったことが確認できました。
68歳の男性です。
3日前に、右母指IP関節が伸ばせず、
お箸が持てなくなったといことで、来院されました。
左の写真は初診時の外観写真です。
右母指IP関節の伸展が不可能であり、
赤矢印で示す部分に長母指伸筋腱のレリーフが認められないことから、長母指伸筋腱の断裂が疑われました。
エコー検査で、リスター結節部の長母指伸筋腱の断裂と、
腱鞘の腫脹を認めました。
また、同部位に圧痛も見られ、手術を行う事になりました。
手術では端端縫合は難しいと判断し、
固有示指伸筋腱の移行術を行いました。
左の写真は、手術後6週目の外観写真です。
赤色矢印で示した母指IP関節の伸展が
できるようになったことが確認できました。
68歳の女性です。
初診時、左リスター結節部に腫れと痛みを訴えて来院されました。
母指の伸展は可能であったため、一旦偽痛風と思い、
経過を見ていましたが、4日後左母指IP関節の伸展障害を訴え再び来院されました。
左の写真は再診時の外観写真です。
左母指IP関節の伸展が不可能であり、赤矢印で示す部分に長母指伸筋腱のレリーフが認められないことから、長母指伸筋腱の断裂が疑われました。
そこで、エコー検査を行いました。
左の写真はリスター結節を手背側よりエコー検査を行った画像です。
赤矢印で示した腱の周囲で、炎症と思われる像が認められました。
以上のことから、長母指伸筋腱断裂と診断し、手術を行う事になりました。
手術で腱鞘の入り口部分で長母指伸筋腱がささくれ断裂していることがわかりました。
固有示指伸筋を移行させ、長母指伸筋腱と縫合しました。
左の写真は術前と術後の外観写真です。
赤色矢印で示した長母指伸筋腱のレリーフが見えるようになりました。
黄色矢印で示すように、左母指の先も伸びるようになりました。
母指が伸展できないという疾患は、他にもありますが、
長母指伸筋腱皮下断裂は発生機序やエピソードなどを患者さんから伺うと、
おおむね他の疾患と区別することができます。
また、外傷によって生じるというより、
日常生活をしているうちに、「気が付いたら母指が伸ばせない」という場合もよくあります。
こういった場合には、早めに整形外科を受診されることをお勧めいたします。